私はいつも理由を考えます。
たぶん、普通の人は考えないようなことにも注目します。理由を考えることで様々な発見が生まれ、同じ体験の中から学べることが増えるような気がしています。
私にとっての普通が、普通じゃない人がいる
例えばどんなことかと言うと、二十年以上前のこと、私はまだOLで、会社員でありながら雑貨屋の店長になることにが決まり、接遇のための外部研修に行きました。
そこで一緒になった女の子は、高校を出てアパレルの販売員に成り立てとのこと。
その頃は消費税導入時でしたが、何気ない会話の中で、彼女は「消費税を計算するのが大変」と言いだしました。
私は「どうして? ただ1.03(当時は消費税3%)掛ければいいだけじゃん」と答えると、彼女にはその理由がわからない様子。
よく聴いてみると、彼女はセールで3割引なら、定価を10で割って、3を掛けて、全体からその数字を引いて7割残す。正しいけど超原始的な方法で計算していると言うではないですか。
3割引なら、大多数の人は定価に0.7を掛けますよね?
こんな時、たいていの人は「この子は計算が苦手なんだな」と思うだけで終わってしまうでしょう。
私はといえば、「おお、そうか、私が普通だと思っていることでも、誰もが同じように理解しているとは限らない。こんなに便利な方法を使えていない人もいるんだ」と考えるわけです。
そこで理由を考えます。
学ぶには適したタイミングがある
彼女は算数を習うとき、分数とか、パーセントとか、少数とかの概念を理解せずに過ごしてしまったんだな。自分にはわからないと思い込み、理解することを放棄していたに違いない。
それは中学時代、算数の時間にグループ学習(算数が得意な子と不得意な子を組ませて、自分たちで考えさせる)をしていて感じたことが元になっています。
私が一緒に勉強していた子は、どうせわからないと思っているらしく、自分で考えることは一切せず、すぐに私に解き方を聞いてくるんです。
(ちなみに、私は中学までは全然勉強しなくても算数は出来ました。理由は自分で考えれば答えを出せたから。高校で算数が数学になり、公式とか定理を使う必要に迫られると一気に不得意に。暗記力がないわけではないんです、医学のことは覚えられているから。でも興味のないものは覚えないらしく、地理や歴史は全く覚えられません)
理解する気がなければ理解できないですよね。
わかるように教えてくれる人がいなければ、それがわからなくても何とか生きていけるので、結局そのままにして過ごしてしまいますし、時期が過ぎると、それをわかっていないことを自分も他人も気付かない。あるいはその事実を隠すようになります。
その夜、私は一生懸命彼女に説明しました。
「1は分数にすると10/10で、パーセントにすると1が100%なんだよ、わかる?」から始まり、「リンゴを5個に切って、その一切れは1/5=0.2=20%。リンゴが1個100円なら、この一切れは100円×0.2で計算できるんだよ」
みたいな説明を彼女が理解できるように丁寧に教えました。
確信はありませんが、彼女は一応理解して、セールで消費税込みの金額を出すにも、電卓で簡単に計算できるようになったはずです。
ちゃんと教えてくれる人がいれば、彼女も理解出来ます。彼女の頭が悪いから計算できないんじゃなくて、本来覚えるはずの時期に、チャンスを逃がしてしまっただけのこと。私が知らない事で、彼女が知っていることも間違いなく沢山あります。
自分が常識だと思っているようなことでも、たまたまそれを学ぶチャンスを逃がしてしまったがために、それを身につけられない人がいる。
あの時の出会いがそんな当たり前のことに気付くきっかけになり、その後も同じような発見が出来るようになりました。
また別の話ですがこんなこともありました。
育ちの良い知的な女性で、趣味で楽器をやっていた人のことです。
1曲の中でどうしても上手く演奏できない箇所があり、いつも同じところで失敗する。
普通なら、そこだけを繰り返し練習するだろうと私は思ったのですが、その方は、常に1曲全部を繰り返し練習していたと言うんです。
何か信念があってそうしていたのではなく、そこだけを抜き出して練習するという概念がなかったために。
その方は、そっかーという感じで、今度、部分練習をやってみると話していました。
自分では普通、常識と考えているようなことが、全然普通じゃなかったり、簡単に見えることを上手くできない人がいる。わざとではなく、人とは違うことをしてしまう人がいる。本人も望まない反応をしてしまう。
そこには何か理由があるのです。できが良い悪いだけの問題ではありません。
適切な時期に学べないと、本人は違っていることにも気付きません。
子供も大人も同じです。
普通じゃなくたって良い。でも気づいてない、知らないだけなら周囲が教えればなお良い
必ずしも普通である必要はないし、人と違っても良いんです。でも、本人は不便だったりするんじゃないかと思います。
学ぶには最適な時期があり、それを逃すと再学習は困難になりますが、周囲の人がその事実に気づいたなら、責めたり、呆れたりするのではなく、「こうした方が簡単だよ」と自分の知っている情報を共有しましょう。
それは、お互いにとってプラスになることです。
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