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尾名高 典子

発達障害について考える

この記事は数年前に書いたものを加筆修正しています。



当事者や家族の気持ちに目を向ける

私は元々脳と心に関する本が好きなので、発達障害を脳の機能障害という医学的な観点から考えることが多かったのですが、学習障害に関する本「LDはぼくのIDー字が読めないことで見えてくる風景」や、「怠けてなんかいない! ディスレクシア」を読み、親も含めた当事者の、他者からは想像できないような苦悩や、教育者の無知による弊害などに今まで以上に目を向けるようになりました。

 

発達障害は、脳の情報伝達の問題?

発達障害を医学的に見ると、脳内の特定の回路が繋がっていないために、情報が適切に伝わらず、一般的には不適切と思われる処理をしてしまうものと考えることが出来ます。 


例えば聴覚情報では、一般の人は周囲の音を取捨選択してから脳に伝えます。

だから大きな騒音の中でも、さほど困らずに友人と会話が出来ますが、発達障害を持つ一部の人たちは、耳に入る全ての音を均等に拾ってしまうため、他の音がある中での会話は高度な集中を必要とするとても困難なものになります。


そんな子供(や大人)が増えている


発達障害の代表的なものには、自閉症や、アスペルガー症候群、ADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害。ディスレクシアともいい読み書きが困難なもの)などがあります。

最近とても増えているように感じられるこれらの症状ですが、もしかしたら以前はただ、変わった子とか、本当は頭が良いのにアホな子とか思われてきただけなのかもしれません。

これらの子供、あるいは大人に対する世間の理解は、過渡期なのでしょうがないとは思いますが、誤解と偏見に満ちているという感じがします。 


アスペルガーは感情の弱視や難聴のようなもの 


例えば、アスペルガー症候群についての性格が悪いという印象。

私に言わせれば、アスペルガーの人は一見性格が悪そうに見えますが、本当の意味で性格が悪い人はあまりいません。 

これにはきちんとした根拠があるんです。 

私の思う本当に性格の悪い人は、相手が嫌がることをわざとする、あえて人を傷つけるようなことをする人ですが、アスペルガーの人は、相手の気持ちがわからないので、そんなことはしたくても出来ません。 

何を言えば相手が傷つくか、どんなことをされると相手が嫌なのかがわからないのがアスペルガーの特徴です。 

感情がないわけではありませんが、弱視の人がはっきりとものを見ることが出来ないように、アスペルガーの人は、人の感情の動きがほとんど見えず、人の気持ちを予測できないのです。

ですからこちらが「普通それぐらいわかるだろう」と考えると、期待を裏切られることになります。 

わかろうとしないとか、気持ちを踏みにじっているとかではなく、努力してもわからないのが発達障害なのです。だからどんなに言葉を尽くして説明しても、やはり本当にはわかってもらえません。 

要するに、本人の罪と言うより、こちらの期待が間違っていることに気付けないのが、アスペルガーが誤解される原因と言えるでしょう。


「普通」は一部の人間の共通認識でしかない 


発達障害を負う人達にとって、この「普通わかるでしょう」とか「普通出来るでしょう」と言う思い込みが、あらゆる苦しみの最大の要因になっています。

読み書き困難などの学習障害があると、知的な会話が出来るのに上手く文章が読めない、読めても意味が取れない、きちんとした文字や文章が書けない。暗算で計算は出来るのに、計算式が書けない。複雑な会話は出来るのに文章問題が解けない、人の話を聞き取ることが出来ないなど、「普通ではない」ことが沢山起こります。 

また発達障害に随伴するものとして、人より不器用だったり、ものを覚えられないなどの症状があることも多いため、本人は真面目で凄く努力もしているのに、だらしないとか、人の話を聞いていないなどと誤解されることもあるでしょう。 

問題なのは、精神遅延などと異なり、これらの人の多くは知能は正常なため、一般常識に囚われている人達から、やれば出来るはずだ。出来ないのは努力が足りないからだと思われてしまうことです。


本人達は普通の人より頑張っている


本人達は「普通に出来る」人達より何倍も何十倍も努力しているのにも関わらずです。 

実は当事者である本人や親もその常識に囚われている人であるがために、「普通に出来ない」自分を追い詰め、苦しめているのです。 

当事者達の苦しみは、我々の想像を遙かに超えたものです。 


発達障害を持つ多くの人が、子供を思う親からの過剰な叱責や、無知な教師からの責めや、同級生からのいじめに苦しみ、不登校や鬱など二次障害に苦しんでいます。 

もしこの記事を読んでくださった方の周囲にそのような人がいたら、是非とも深い理解と援助をお願いします。 

具体的な症状や、周囲の人間にどんな援助が出来るかなどは、また改めて書きたいと思います。  


これらの本を読んで誰もが感じるであろうことの1つは、教育者や小児科医など、専門家の無知さです。その人達がわかってあげなくて、誰がわかるというのでしょう。 


特に教師の無理解が、どれほど当事者達を苦しめているかを知ると、多くの読者は怒りを感じるのではないでしょうか。 

中には、その子供が発達障害と知った上でひどい言葉をかける教師がいたりして、無知や無理解以前の問題だったりするのですが、それは医療現場でも良くあることなんですよね。 

一般人の無責任な発言と、医者や教師の発言では、当事者が受けるダメージが全然違いま

す。

 

人は無意識のうちに、医者やナース、教育者や聖職者などには、人格者であることを求めてしまいますが、実は彼らもごく普通の人達なので、冷静に考えれば仕方のないことでもあるのです。 

なので、素晴らしい人格者とまではいかなくても、患者や子供達のために自分は働いているんだという事実を忘れず、最低限の知識と誠意を持って働いて欲しいと願うよりほかありません。 

本当はもう少しきちんと国が指導して、関係者はわざわざ自分の意志で勉強しなくても、みんなが最低限の知識を持っているというような体制を作るしかないんだと思います。

  

でももし発達障害に対する知識が広まって、専門の教育環境や制度が整えば彼らはもう苦しまずに済むのかと言われると、そうとも言えないんじゃないかなとも思うんです。 

もちろん今よりはずっと生活はしやすくなるだろうし、嫌な思いをすることは少なくなるかも知れませんが…。

 

本当に必要なのは、もっと根本的に、発達障害や、身体障害、病気などに関わらず、誰もがその人そのものとして受け容れてもらえる世界になることなんじゃないかなと思います。 


発達障害だから字が書けなくてもしょうがないじゃなくて、上手く字が書けない人もいる。計算が苦手な人もいる。人とのコミニケーションが全然出来ない人もいる。でもそれは本人のせいじゃないし、別に悪いことでもない。 

苦手なこと克服するための努力ばかりを求められたら、その人はどうしても自己評価が低くなるし、本当の才能を生かすことが出来ません。

 

ちなみに天才と言われるような人には、発達障害を持つ人が多いんですよね。他にも沢山いますが、 アインシュタインやダヴィンチ、エジソン、ビル・ゲイツなどが知られています。 

トム・クルーズやウォルト・ディズニー、チャーチルなどもLDだそうです。  


上手く出来ないことは道具を使えばいいし、他の人がフォローすれば良い。出来ない人が迷惑なんじゃなくて、それをお互いにフォロー出来るのが嬉しい。そんな社会にならなければ、偏見や差別はなくならないし、多くの人が感じている生きにくさを解消することは出来ないのではないでしょうか。 


病名が付いて初めて自分や自分の子供を受け容れることが出来た。救われたという人の気持ちは凄く良くわかります。 

自分はどうして人と同じように出来ないんだ、こんなに努力しているのになぜダメなんだと悩んできた人が、その理由を知ることは大いなる救いです。  


でも本当は、理由がわからなくても、そのままで良いんだよ。あなたはダメな人間じゃないと言ってあげられることの方がずっと大切だし、簡単なことだと思いませんか? 病名が付くような理由がなくて出来ない人も、認められ尊重されるべきです。そんな当たり前のことを忘れないようにしたいものです。


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