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尾名高 典子

誠実さについて考える

更新日:2019年6月9日

「誠実な態度」あるいは「思いやりの気持ち」、どちらも相手を想ってすることですが、あなたの想いが強くなり過ぎて、相手が本当に求めるものから離れていってしまうことはありませんか?


ときどき相手の気持ちを先回りして考えすぎてしまい、相手を喜ばせようと自分が我慢をしたり、相手に対して罪悪感を持ってしまう人を見かけます。


人に対して誠実でいたい。

私も常々そう願っているのですが、私が心がけている誠実さは、相手に嘘をつかないこと、そして自分だけが我慢しないことです。


よくある例を挙げてみます。

例えば、食事に誘われたとき、体調が悪くて本当は食べたくないのに、残すのは悪いからと、「おいしい」と言いながら無理して全部食べる。


仕事が忙しく疲れ切って、あるいは体調が悪くて、起きているのもやっとなのに、家族のためにちゃんとした食事を作る。


経済的にすごく苦しいのに、お金のある友人から、お金のかかる旅行や食事に誘われ、普段の生活を切り詰めてでも毎回付き合う。


これを読んだ人の多くは、そうするのが当然と思うかもしれません。

でも、一度相手の立場に立ってみましょう。


自分が我慢したり、無理をするのは相手のため?

自分が相手に無理をさせていた、我慢を強いていたと感じたらどうでしょうか?

そんな我慢はして欲しくないと思いませんか?


私なら悲しいし、相手ではなく、無理をさせた自分が情けなくなります。

 

上記のような状況ではなくても、友人や家族に本当のことを言われて気を悪くしたり、失望することはまずありませんし、自分にとって大切な人であればあるほど、多少残念に思ったとしても、無理に付き合わせるよりはましだと感じるはずです。


相手の体調が悪いとき、気分が落ち込んでいるようなときは、喜んで手助けしたいのに、相手が遠慮して何もさせてくれない。


それどころか、自分のために余計に苦痛を感じている。それはとても寂しいことです。


ここで言う我慢しない、無理をしないという意味は、わがままや自分勝手な行為を容認しているわけではなくて、自分が相手の立場なら相手にどうして欲しいかを考えて、自らが行動するということです。


問題はそれだけではありません。自分がどんなに我慢をしたり、無理をしたとしても、相手はそのことに気付きません。


我慢をすると、相手にも我慢を求めるようになる

自分が気付かせないように頑張っているので、それが当然の結果なのですが、それでも相手が自分の気持ちをわかってくれるよう求めてしまうのが人情というものです。


相手は、あなたが他のおいしい誘いを断ってまで行く気だった約束を、案外簡単にキャンセルするかもしれない。


あなたのために無理はしないかもしれない。


そんなとき、あなたは自分が勝手にやり過ぎているだけなのに、相手から裏切られたように感じる、あるいは、自分に対する愛がないと感じてしまう、そんなことはないですか?


なぜでしょう?

たぶんあなたの行動の根底に、本当に相手を想っているのと同じくらい、自分が良く思われたい、嫌われたくないという気持ちが働いているからではないでしょうか。


その気持ち自体は持っていて当然です。

誰だって大切な人からは嫌われたくない。少しでも良く思われたい。


でも、相手に対して我慢や無理をしてしまうのは、自分が相手を信じていない証拠、あるいは、自分が嫌なだけで、本当に相手を想っての行為とは言えない。

私はそんな風に考えています。


だから、私はお世辞も言わないし、同意できないことには、その理由と共に意見も言うし、相手のために自分を犠牲にはしません。


でも、基本的に相手を受け容れます。

受け容れることが出来るのは、自分が我慢をしていないからで、自分が何も犠牲にしていないので、相手を恨むこともなく、見返りも期待しないので、期待が裏切られることもありません。


自分が頑張っていると、相手が頑張らないと頭に来る。

でも、自分も力を抜いていれば、「まあいいか」で済みます。


人のために一生懸命になることは良いことです。

でもそれは、自分のために、喜んで出来る範囲にとどめ、自分を犠牲にするのは止めることです。



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